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全ての子供たちに気づいてほしい想い 「違い」を受け入れるということ 


全ての子供たちに気づいてほしい想い 「違い」を受け入れるということ 

 コラム  2020/7/13

先月、東北楽天ゴールデンイーグルスのオコエ瑠偉選手のSNSの内容が話題となった。幼少期より、肌の色などの違いから否定的な言葉を投げかけられたといったものであり、保育園の頃から受けていたとも書かれている。ほぼ、物心がついて間もない時期からであることが想像できる。また、少年野球の場においても辛い経験をしていたことも綴られていた。

 

■「違い」を遠ざけることのない社会に

オコエ選手のSNSの内容は、多くの子供達も目にしたことだろう。ただ同じような出来事は、学校などの集団生活、特に小学校年代などで起こることが少なくない。多様性が叫ばれる現代でも、集団の中において、幼少の頃のオコエ選手の様に、悲しい想いを抱く子供がいることも間違いないだろう。

 

集団生活と同じく、野球というスポーツも多くのチームメイトと共に行う競技だ。自分一人だけでなく、多くの仲間と共にチームを構成し、対戦相手と合い見える。確実に言えることは、そこには同じ顔、形を持った人間は誰一人として、居ない。そしてそれは、一般社会においても同様だ。

 

自分以外の誰かを遠ざけてしまうことはお互いにとって失うことが多く、何一つとして肯定できる要素は、無い。反対に、違いがあるからこそ、人は様々な刺激を受けて前に進んで行く。同じではないからこそ、他者から学び、自分を高めていけることも確かなのだ。

 

■野球、そしてチームスポーツの魅力とは

プロ野球でも、1980年代後半に「猛牛軍団」とよばれた近鉄バファローズに元メジャーリーガーが入団すると、日本人のチームメイトはその選手からプレーだけでなく、試合後のマッサージなどの自己管理を怠らない姿に、プロフェッショナルの意識を植え付けられたという。それまで、自由奔放だったチームはそこからチームとしてのクオリティが高まり、伝説の「10・19」を演じ、さらにはリーグ制覇を成し遂げるまでとなった。

 

チームスポーツに身を置くことは、プレースタイルやチームでの役割はもちろん、生い立ちや生活環境も含め、数えきれない程の「違い」を目の当たりにする機会でもある。その違いを受け入れてこそ選手として、さらには一人の人間として、自分に無いものを得ることができる。それぞれの選手が高め合いながら、同じ目標に向かうことができることは、チームスポーツの大きな楽しみではないだろうか。

 

外見などが周囲と異なるというだけで、誰かが傷つくことはあってはならない。オコエ選手は多くの子供たちにそう、語りかけている。さらにもう一つ言えることは、野球や集団生活を通じ、「違い」に接する機会があるとすれば、それは本当に素晴らしいことなのだ。(佐藤文孝)

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